2017年06月04日

【雑考】 映画『 メッセージ 』と忠犬ハチ公と映画についての映画について。


映画『 メッセージ 』の感想の中でこんなことを書いた。


愛する我が子が自分よりも先に死んでしまうとわかっていながら、それでもその未来に逆らおうとしない選択。たいていの評論家はこれをキリスト教の予定説で説明するが、それは面白くない。せっかくSFなのだからもっとそれっぽい解釈があるだろうと思ったが、長くなりそうなのでまだ後日。


今回は、この「それっぽい解釈」について書きたいと思う。

実際、長くなると思うのでご覚悟を。



僕の考えるSFとはーー

僕がSFにもとめているのは、思考実験だ。

僕らが生きている社会も仮説をたった一つ導入しただけであらゆるものが変わってしまう、それを頭の中で可能な限りリアルに描写して作品にして欲しいのだ。

難しい言い方になってしまったかもしれないが、実はいたって単純なことで、例えば「男性と女性の比率が1:9になったら道徳、制度、政治はどう変わってしまうのか」ということだ。

僕はSF作品を鑑賞し、それについてつらつら考えて楽しむ場合には、この考え方をメインの “ ものさし ” としている。



なぜハチはご主人をいつまでも待っていたのかーー

ハチ公の話はいまさら説明するまでもないだろうが、念のため簡単に説明しておく。

いつも渋谷駅の前で仕事帰りのご主人を待っていた犬のハチ。ご主人が亡くなった後もハチは渋谷駅の前で帰りを待ち続けたので、周囲の人たちから「忠犬」と呼ばれるようになった。


Wikipedia によるとハチは、ご主人の死後10年もの間、渋谷駅に通い続けたらしい。

これについて「犬は時間の概念がないから10年も1日もかわらないんだ」と身も蓋もないことを言っていた人がいた。

これに近いことは犬より人間に近い存在である猿にもいえるそうで、雄の猿は若い雌と出会って交尾すると、その雄にとっては何年たってもその雌は出会った頃の若いままなのだそうだ。

人間とはかけ離れたことのように思えるかもしれないが、そうとも言えない。

例えば、妻が髪を切っても気づかない夫がいるという話は皆聞いたことがあるだろう。

それは脳が省エネしているからだ。

脳は一度見たものはもう見ようとせず、以前に見た記憶の中からそれに対応するものを引っ張り出してきて、それをCGのテクスチャーのように今まさに見ている景色の中にペタッと貼り付ける。

つまり、夫の目には髪を切っていない妻が映っているから、妻が髪を切ったと気づかないのだ。

さて、これにさきほどの “ ものさし ” を導入してみよう。

映画『 メッセージ 』で主人公のルイーズは、ヘプタポッドの言語を理解することによって未来を思い出すことができるようになる。

未来の出来事を思い出せるようになるというある種の進化が可能なのなら、逆もまたしかりではないか。

犬の言語がもしあるなら、それをマスターし習熟していくにしたがって、その人は時間の感覚を失っていくはずだ。



ルイーズが悲しい未来に逆らおうとしないのはーー

映画『 メッセージ 』において、ルイーズはいずれ自分がイアンと結婚し女の子を出産するが、その後二人は離婚、愛する我が子は若くして不治の病で死んでしまう、という未来を知っている。

それでもイアンの「子供をつくろう」という提案に対して賛同する。

その決断に対して「なぜ、うまくいかないとわかっていてイアンを受け入れるのか」「若くして死ぬとわかっている子供をなぜ産もうとするのか」「どうして子供が死ぬという未来を変えようと努めないのか」という批判をする人たちがいる。

もっともな意見だと思うが、ひとつだけ忘れていることがある。

ルイーズはペプたポッドの言語を理解することで未来・現在・過去を同じように認識できるのだ。

皆さんは過去に起きた出来事を今から変えられると思っているだろうか。

我々は過去の出来事を変更不可能なこととして認識している。

ルイーズにとっては、過去の出来事も未来の出来事も同じように変更不可能なのだ。



映画についての映画とはーー

映画についての映画とは、映画中で語られている内容がそのまま映画そのものについての評になっている映画のことだ。

そしてそういう映画は往々にして傑作である。

そして映画『 メッセージ 』はまさにそういう映画であった。

この記事の冒頭で本作の感想の中の文章を引用したが、もうひとつこんなことも書いた。


なお、ネタバレは気にせず書くが、僕はそれでもこの映画の面白さが削がれることはないと思っている。


本作に限らず、基本的に僕はネタバレを気にしない。

それは映画はモンタージュだと思っているからだ。

映画というのはリニア(一直線)に頭から尻まで一気に観るものであって、それは全ての映像・音声を決められた順番、決められたタイミングで体感することだ。

で、そこには特定の順番・タイミングで見たからこそ感じる何かがある。

だから、一部分だけを抜き出して映画の内容を語ったところで、そんな前も後ろもないただの情報など、実際に映画を観ることとは全く別物なのだ。

次の展開を知っていると気になるという人もいるが、そんなことが気になるのは、その映画があなたを没頭させるほど面白くないからだ。

勘の良い人ならもう気付いたかもしれない。

そう、ルイーズはたとえ未来を知っていたとしても、これから体験することは全てリニアに起こるのだ。

未来を思い出すことはできても、肉体ごと時間を超えて行ったり来たりできるわけじゃない。

ルイーズはイアンとの結婚やわが子の誕生を喜ぶだろう。

幸福を感じるだろう。

そして本気でイアンと喧嘩し、我が子の死に泣きわめくだろう。

未来を知ったからといっても、それは感情をなくして泣きも笑いもしなくなることではないのだ。

ルイーズは、イアンと喧嘩しそうになったとき、「ああ、私はこれからイアンと喧嘩するんだわ」と考えるだろうか。

それは絶対にない。

彼女はイアンの提案に賛同したときから、リニアな人生に没頭することを受け入れたのだから。



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posted by カチハヤ at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑考 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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