2017年07月20日

【映画の感想】『 ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣 』




評価:★★★★★ ダンサーとは喧嘩するな!


あるダンス関連の書籍を読んだ際、こんなことが書いてあった。

“ 神はいない ”

ここでいう神とはキリスト教でいうところの全知全能の神のことであり、それが存在しえない理由とは“ 神にはゲームができないから ”だ。

例えば少し離れたくず籠にゴミを投げ入れるゲームをやろうと思い立ったとする。

神はこのゲームをプレイすることができない。

なぜなら、神は失敗しないからだ。

ゲームは成功と失敗があってはじめて成り立つものであり、全知全能、完全無欠で失敗することのない神ではそもそもプレイする資格がないのだという。

我々人間は例え同じように投げたとしても全てのゴミをくず籠に入れ続けることはできない。

それは我々が肉体を制御しきれないからだ。

長く付き合った自分の体であってもなかなか思う通りには動いてくれない。

その儘ならない肉体を限りなく完璧に近いかたちで制御してみせる人たちがいる。

それがダンサーだ。


セルゲイ・ポルーニン、それがダンサーの名だ。

本作は彼の半生を追ったドキュメンタリー映画である。

ウクライナの貧しい街で生まれた彼は、徐々にバレエの才能を見せ始め、家族の協力もあって都会、そして海外へと留学、やがて天才として世界的な評価を得る一方で問題児としてスキャンダルを撒き散らすようになる。

映画は彼の苦悩を家族の問題としてわかりやすく提示しすぎているきらいがある。

わかりやすい結論に飛びつくやり方は安易だと思うし、この点はマイナスだ。

それでも★5つをつけたのは、とにかく素材が素晴らしいからだ。

マイナスポイントなんて問題にならない。

ダンス門外漢の僕に彼を教えてくれてありがとう。


家族に支えられてバレエに打ち込むセルゲイ。

セルゲイの留学費を稼ぐために出稼ぎにいく父。

再び家族をひとつにするため、なおもバレエに打ち込むが、その甲斐虚しく家族はバラバラに……。

成功の裏で苦悩するセルゲイ。

両親との間にも問題を抱えるが、さまざまな経験を経てついに和解のときが訪れる。

めでたしめでたし。

僕は意地の悪い観客なのか。

苦悩していない彼はつまらない。

これはフィクションじゃなくドキュメンタリーなのだと言い聞かせるが、どうにも幸福な彼の後光は薄ぼんやりとしてしまって見える。


暗黒舞踏の土方巽はいかにして無制御な身体を獲得するかに腐心したが、バレエは身体を制御し、ねじ伏せる。

まるで西洋文明が自然をねじ伏せてきた歴史を見るようだ。

その先に共生や調和なんてありっこない。

究極的に人工的なこしらえものの中になぜ僕らは美を見るのか。

もしかしたら、僕らは直感的に、そんなものは刹那的で脆く儚いものだと知っているからなのか。

だとしたらなんとなく実感できる。

ダンサーも老いる。

動けるのは若いうちだけ。

同時代に奇蹟を目撃出来たなら素直にそれを喜んだらいいってわけだ。


ちなみに本作を鑑賞したのは新宿武蔵野館だ。

カンフー映画ファン御用達の映画館で本作に出会ったというのも何か縁のようなものを感じる。

たぶん、これはこういうことなのだろう。

ダンサーとは喧嘩するな。



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posted by カチハヤ at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【映画の感想】『 ジョン・ウィック:チャプター2 』




評価:★★★★☆ 『 96時間 』かと思ったら『 スカイフォール 』だった


前作を観て、てっきりこれはキアヌ・リーブスを起用して『 96時間 』に始まるリーアム・ニーソンの一連のアクションシリーズのようなことをやろうとしているのだと思っていた。

それを前提にしていたので前作の感想において「死んだ奥さんなんてどうでもいいから、犬ちゃんメインでやっちゃえばいいのに」というような乱暴な提案をしていたが、それは間違いだった。

本作は、『 96時間 』のような“ ちょっとゆるい作りだが、それ故に多少のヤンチャは許される佳作 ”といよりは、『 007 スカイフォール 』にような、“ 金をかけてキチンと作った、一流の娯楽作 ”の路線を目指しているのだ。

鑑賞前の予想では、前作で提示されて面白かった殺し屋御用達のホテルであるコンチネンタルのシステムを使って、こちらが「待ってました!」と言いたくなるような良く言えばお馴染み、悪く言えばある種の定型を踏襲した物語を見せてくれるのだろうと思っていた。

コンチネンタルのシステムは面白いので、今後シリーズ化されていくにしても007のMやQのようにそれ自体をぶち壊すようなことは(少なくとも当分は)しないだろうと軽く見ていたのだが、それは作り手たちの志を低く見積もった誤った考えだった。

まさか、この一作でそのシステムをちゃぶ台返ししてしまうとは……。

コンチネンタルの黒人マネージャーは個人的に好きなキャラクターで今後も出て欲しいが、定型を崩した以上、次作あたりで死ぬ可能性もある。

武器ソムリエとか、防弾スーツの仕立て屋とか、コンチネンタルの面白いサービスが出てきたのに、まさかこれが一作で終わってしまうのか。

そんなもったいないことはしないと思うが、いや思いたいが、こっちの路線に足を踏み出したということは、その嫌な予感が当たってしまう可能性を残しているということだ。

それはひとりの観客としてはスリリングで喜ばしいことでもある。

ただ、その路線を行くということは、ある程度の完成度が求められるわけで、失敗の許容範囲が一気に狭まったことも意味する。

今の流れのままクオリティの高い映画を作ろうとすると、本シリーズの世界を構築している様々な仕組みが邪魔になってきやしないか。

警察が介入しないことをどう説明するのか、街中でドンパチやっても世間にバレないのをどう説明するのか。

(そういえば大勢の通行人にバレないようにコソコソ銃を撃って殺し合うシーンはなかなか楽しかった。)

転がす石が大きくなったせいでちょっとした弾みで大事故にもなりかねない。

次作以降も眼が離せなくなった。


最後に、ハリウッドの娯楽映画というのは、キャラクターの心情をパッと見ただけで誰にでもわからせるような工夫をするものだ。

前作で、封印した銃器を取り出すためにハンマーで床のコンクリートを叩き割っていたのも、ジョンの怒りを観客に目で見てわからせるための工夫として秀逸だったが、本作はもっとエスカレートしている。

依頼を断られたカモッラ(シチリアはマフィア、ナポリはカモッラ)のダントニオが、俺は怒ってるぞ、というのをひと目で表現するためとはいえ、まさかジョンの家にロケット弾みたいなヤツをぶち込むとは思わなかった。

これをシナリオの勉強になったと言って良いのかどうか判断に苦しむところもあるが、まあしかしこれがハリウッド映画なのだろう。



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2017年07月10日

【映画の感想】『 ジョン・ウィック 』




評価:★★★☆☆ なかなかのセガール映画


監督 : チャド・スタエルスキ
ポニーキャニオン
発売日 : 2017-06-02
セガールや近年のリーアム・ニーソンよろしく完全無欠なのかと思いきや、わりと撃たれたり刺されたりするのが意外だった。

それでも飽くまで「わりと」なので基本的には前述した2人と同じ路線のものと考えても差し支えない。

では、もっと細かく、本作が“セガール映画”なのか“リーアム・ニーソン映画”なのかと問われれば、それはある一点をもって“セガール映画”であると断じたい。

異論があることは想像できる。

主人公ジョン・ウィックの終始悲しげな表情は、リーアム・ニーソンにあってセガールにないものだから、本作をリーアム・ニーソン映画だということもできる。

だが、それはこれから挙げる一点に比べれば些細なことである。

セガール映画とリーアム・ニーソン映画を隔てている最も大きな相違点……それはラストのラストで主人公が見せる“不謹慎さ”だ。

セガール映画とは、悪の組織に誘拐された息子を助ける途中で親友が死んでいるにもかかわらず、助けた息子とヒロインのお姉さんと肩を組みながらセガールが発する一言ーー

「みんなで旅行でもいこうか」

この不謹慎な一言を「まぁ、セガールだからしょうがないか」と許せてしまうのが、セガール映画のセガール映画たる所以なのである。

本作のラストシーンを見たとき僕は思わずこうつぶやいてしまった。

「えっ、犬ならなんでもいいの!?」

だが、これでいいのだ。

リーアム・ニーソンにはなくセガールにはある、ある種の浮世離れした感覚を、若干トーンは異なるが、キアヌ・リーブスも持っているのである。

勘違いしないで欲しいが、僕はキアヌがB級だと言っているのではない。

例えばトム・クルーズも、同じく浮世離れしたものを持っている。

これはつまりキアヌは“演技派”ではなく、“スター”だということだ。

本作はスターであるキアヌが主演するセガール映画だ。

ただ、その視点から観るとやや物足りない部分もあり、それが★3つにした理由でもある。

本作が他の殺し屋映画と違うのは、復讐の目的が犬を殺されたことだからだ。

その特異な点をもっとクローズアップすべきだった。

例えば、敵側は車を奪ったのと殴ったのを理由に復讐されているのだと思っていて、車を返して命乞いしようとするが、ジョンは車のことなどなんとも思ってなくて、理由は犬だとわかってびっくりする、とか。

もっといえば、いっそのこと犬が原因で殺し屋から足を洗ったことにしてしまっても良かったと思う。

他の役者には無理でも、スターであるキアヌだったら観客は「ああ、そういうことやりかねないかも」と思ってくれるはずだ。

変に一般人の感覚に寄せようとする必要はない。

ひとりでマフィアを壊滅させるという、どだい不可能なことをやっているのだから、むしろこうした方がバランスが良いくらいだ。


で、これを書いていて、僕だったら本作のラストをこう書くというのを思いついたので、最後にそれを。

最後の対決を終えて重症を追ったジョンが、スマホで奥さんの動画を見ている。

「ウチに帰りましょう」という動画の中の奥さん……とここまでは同じ。

ジョンは傷を治療して貰うためという意味もあって、殺し屋にとっての“ウチ”であるコンチネンタルホテルへ。

ホテルのマネージャーが「どうぞ、ウィック様」とドアを開ける。

ホテルに入ろうとすると野良犬がジョンのズボンの裾を噛んでひっぱる。

「ウチに帰るよ」

そう言って踵を返したジョンの後を野良犬がついていく。


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