2017年03月26日

【面白い動画の紹介】『 JR(新幹線)発券システムのユーザー無視が甚だしい件。 』




今回紹介するのはニコ生で放送している スタンダードジャーナル2 アメリカ通信 より、『 東京五輪に向けて「お・も・て・な・し」どころではない!JR(新幹線)発券システムのユーザー無視が甚だしい件。縦割りと利権の巣窟。 』という動画。

旅不精でJR東日本の圏内から出ることがないのもあって知らなかったのだが、JR各社のシステムがこんなにもバラバラで統合のトの字もない状態とは……。

東京↔大阪間を往復するのにJR東日本の「えきねっと」で帰りの切符を予約したら大阪はJR西日本だから発見できません、ときた。

とても現代の先進国とは思えない。

クレジットカードにしても使えないところがまだまだ多く、こんな状態でオリンピックを開催しようなど正気の沙汰ではない。

どうにかして欲しいところだが、マスメディアにとってJRが巨大なスポンサーであることを考えれば、(頼りたくはないが)オリンピックとそれにともなってやってくる海外ジャーナリストの辛辣な指摘という “ 黒船 ” に頼る他ないのか。

なんとも情けない話である。



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2017年03月16日

【映画の感想】『 たかが世界の終わり 』




評価:★★★★☆ よーく観るべし


本作はあることを念頭に置いて観ることで★がひとつ増える映画だ。

それを説明するには上岡龍太郎の話をしなければならない。

上岡龍太郎といってももう知らない人も多いかもしれないが、十数年前に引退した芸人で、漫才でデビューした後、テレビの司会者として人気を博した人である。

彼が「テレビについて」というテーマでこんな話をしていた。


「子供の頃、ある番組を食い入るように観ていた。それは生中継で閉まっているシャッターをただ映しているだけの番組だった。なぜ、そんなものを退屈もせず観ていられたのか。それは、その中で銀行強盗が人質を取って立てこもっていたからだ」


この映画の主人公ルイは、「もうすぐ死ぬ」ということを伝えるために12年ぶりに帰郷する。

人間は目の前にあるものをありのまま見ているわけではなく、記憶している情報との関係性で見ているから、ルイと彼がもうすぐ死ぬのを知らない家族とでは、同じものでも違って見える。

家族にとってはあたりまえの退屈な日常は、おそらくはそれを嫌って家を出たであろうルイにとってかけがえのない輝きを持ってその目に映る。

アップでの無言の間が多いのは、その何とも言えない胸が熱くなる感じを表現するためだろう。

別々のフィルターを通して現実を見ているというわけだが、ルイと家族にはもうひとつ別のフィルターがある。

それは芸術家と一般人というフィルターだ。

母親、兄、兄嫁、妹という4人の家族は、それぞれが理解し合えないことの不満を抱えているが、それはルイにとっては誤差に過ぎない。

ルイにとって家族と過ごすということは、彼ら4人が属する一般人というカテゴリーの中にひとりだけ異物として存在することなのだ。

家を出るまでの十数年間が彼にとっていかに孤独であったがわかろうというもの。

一応断っておくが、これは決してルイが人間的に優れているという意味ではない。

ルイと家族とでは各々のフィルターを通ってくる情報があまりに違うというだけだ。

冒頭の上岡龍太郎の話にしても、たとえ銀行強盗が立てこもっていようと何の関心も持たずチャンネルを変えてしまう人もいるだろう。

結局わかり合うことなどできないという諦めが映画全体に霧のように漂っている。

それを身近な感覚でわかるよう体現してくれているのが、マリオン・コティヤール演じる兄嫁だ。

彼女の醸し出す “ 血の繋がった一家の中にいる唯一のよそ者感 ” がさり気なく良い。

コティヤールは出演する映画でそれぞれ独特の印象を感じさせる。本作では地味な役どころながら抑えた演技で実に効いていて、ますます好きになった。


たぶん間違ってはいないと思うのだが、ストーリー説明には「もうすぐ死ぬ」ということを伝えるために帰郷するとあるが、映画の中では主人公ルイがもうすぐ死ぬということは一切語られていないはずだ。

それでも観ていておそらくそういうことなのだろうと思えるあたりは、この手の設定が我々観客の中に浸透しているからなのかもしれない。

これはセンスなのか、自信なのか。

どちらにしても “ 語らない ” というのは勇気がいることだし、それが上手くいっているということも含めて、こいつは只者じゃないぞ、と思う。


いくつか疑問に思ったことがある。

まず、主人公が電話している場面の相手が誰なのかということ。

恋人、もしくは友人だろうと最初は思ったのだが、治療を通じて友情を交わすようになった医者ということも考えられる。

それともやや関係することで、母親と「もうゲイシティには住んでいない」という話をしていたが、これは入院しているという意味でいいのか。

それとも単に引っ越した、もしくは恋人の家で同棲しているという意味なのか。

「郵便物は誰かが持ってくるから大丈夫」と言っていたから、別のところに住みつつ、前の部屋は知り合いに貸しているのかもしれない。

他の意見のある方がいたら教えてください。


観終わって一番心に残ったのは母親のセリフだ。

「理解できないけど、愛してるわ」

人間は理解しあえないけど、愛し合える。

現在も過去も、その価値を決めるのは未来である。

諦めと希望がせめぎ合う良い映画だった。





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posted by カチハヤ at 11:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画の感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月12日

【400字シナリオ】『 悪口じゃない 』


◯ 娘の部屋

   娘(20)がベッドに寝転んで一枚の写

   真を見ている。

   幼い頃の娘と若い頃の両親が写っている。

   笑顔の母親。

娘の声「ねぇ」


◯ 居間


   娘がドアのところに立って父親に話しか

   けた。

   父親がビールを飲みながらテレビを見て

   いる。

娘「お母さんてどういう人だった?」

父親「お前みたいだったよ」

娘「私みたいって」

父親「気難し屋で、頑固で、怒りんぼでーー」

娘「じゃあ、なんで結婚したのよ」


   娘、出ていこうとするとーー。

父親「気難し屋で、頑固で、怒りんぼだった

 からだよ」

娘「……」




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